米国ホワイトブルースの重鎮「バターフィールド・ブルースバンド」
前回の更新で「ジョンメイオール&ブルースブレーカーズ」を取り上げた後、「それなら、バターフィールド・ブルースバンドもとり上げては・・・フィルモアの奇跡のアルバム紹介も・・・」というメールをいただきました。そこで・・・・・「バターフィールド・ブルースバンド」をご紹介します。
「ジョンメイオール&ブルースブレーカーズ」 がブリティッシュ・ブルースの重鎮ならば、同じ60年代中期のアメリカ・ホワイトブルースの重鎮が「バターフィールド・ブルースバンド」でした。
60年代当時は、スティーブミラー・ブルースバンドのように「・・・・ブルースバンド」と名がつくバンドがかなり多くありました。この60年代、イギリス、アメリカでブルースが、大きくもり上がった証です。  

 ブリティッシュとアメリカのブルース事情
しかし、イギリスとアメリカでは、ブルースに対する考え方や社会的な背景の決定的な違いがありました。60年代、ブルース発祥の地であるアメリカでは、ブルース(R&B)は黒人音楽、ロックは白人音楽というように分離していたことです。(この状況の中で、ジミ・ヘンドリックスはロック界に登場)

そんなアメリカの音楽状況の中で、白人を中心メンバーとして結成された ブルースバンド「(ポール)バターフィールド・ブルースバンド」は、当時のアメリカの音楽状況の中では、画期的なことでした。
 同じようなバンドも他にもいましたが、当時の音楽界に影響力が大きかったのは、バターフィールドブルースバンドでした。(※ベースは黒人アーティスト)
そして、彼らの3枚目のアルバム『イースト・ウエスト』はホワイトブルースの名盤と言われています。
バターフィールド・ブルースバンド には、2人の白人ギタリストが 、対照的なツインギターとして存在していました。一人は、『ロック・ヒストリー』でも何度も取り上げている「マイク・ブルームフィールド」、そして、もう一人は、最近では、名前も聞くことも少なくなった「エルビン・ビショップ」でした。

ボーン・イン・シカゴ
私にとって60年代の中期に活躍していたバターフィールド・ブルースバンドは、ジョンメイオールと同じように後追いバンドでした。(当時、私は、なぜかポールバターフールドブルースバンド・・・と呼んでいました)

ポールバターフィールドは、シカゴブルースのメッカ、シカゴで1941年に生まれています。育った場所が場所だけに、黒人ブルースに強く影響を受け、特にマディー・ウォーターズを聞いて育ったようです。
そして、信じがたい事実なのですが、リトルウオーターやソニー・ボーイ・ウイリアムソンIIに直接、ハーモニカの手ほどきを受けています。
黒人アーティストのコピーバンドに過ぎなかったポールバターイールドは、1962年、シカゴ大学英米文学科のエルビンビショップと出会い、さらに、ブルースを求めてやってきたマイク・ブルームフィールドを加え「バターフィールド・ブルースバンド」を結成。(※他のメンバーはマーク・ナフタリンp、ジェローム・アーノルズb、ビリー・ディブンポートds)


 これぞ名盤 幻の 「イースト・ウエスト」
 名盤「イースト・ウエスト」が、あの「ブルースブレイカーズ ジョンメイオール&エリッククラプトン」と同じ1966年に発売されているのもおもしろい事実です。
「イースト・ウエスト」に収録された1曲目は、あのロバートジョンソンの名曲「ウォーキング・ブルース」。ロバートジョンソンの偉大さを改めて知らされます。
2曲目は、「ゲット・アウト・オブ・マイ・ライフ、ウーマン」。当時、この曲を演奏していた日本のアーティストも多くいました。ノリのいいこの曲は、当時のGSやアマチュアバンドでもよく演奏されていました。
3曲目の「絶望の人生/I Got A Mind To Give Up Living」泣きのギター、泣きのブルースの原点のような曲。
4曲目の「オール・ジーズ・ブルース」典型的なブルース曲
 

 ワークソング
 ジョンメイオール&ブルースブレーカーズが「What's I Say」で最後の曲を飾るなら、バターフィールド・ブルースバンドのA面最後の曲は、キャノン・ボール・アダレイの「ワーク・ソング」。
「ジャズに負けてはいない」という心意気が伝わってくるような名演奏が繰り広げられています。
たぶん、マイク・ブルームフィールドでしょうが、オクターブ奏法まで披露。完全にジャズ界を意識しています。 「ワーク・ソング」では、エルビン・ビショップとマイク・ブルームフィールドのツインギターの絡みが最高です。

B面に入って「メアリー・メアリー」「トゥー・トレインズ・ランニング」いかにもブルースっぽいタイトル。
3曲目「ネヴァー・セイ・ノー」。レイジーなブルース曲。
そう言えば、最近、こういうスローなブルース曲を耳にすることはほとんどないように感じます。B面最後は、タイトルナンバー「イースト・ウエスト」。当時としては異例の13分の曲。

  アルバム最後の曲「イースト・ウエスト」は、このアルバム『イースト・ウエスト』を名盤と決定づけた演奏が延々と続きます。
60年代、70年代はいろいろなアーティストの東洋志向がよく見られましたが、この曲の中で、マイクブルームフィールドは、シタール風の演奏をしているのがおもしろい。そして、最後はジャズ風に終わるのです。

このアルバムを最後にマイク・ブルームフィールドは、バンドを去り、エレクトリック・フラッグを結成、そして、ボブディランとの出会いがあり、前々回更新した「アルクーパー」のスーパーセッション、フィルモアの奇跡 (右のアルバム)へと続いていくのです。

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このアルバムが、名作と呼ばれるゆえんは、単にシカゴブルースの域にとどまらず、ジャズ、R&B、東洋音楽などの新しいジャンルを融合していったからなのでしょう。
70'S世代には懐かしい「ゲット・アウト・オブ・マイ・ライフ、ウーマン(2曲目)」もR&Bです。

ポールバターフィールドの偉業
ポールバターフィールドは、ヴォーカリストとして、また、ブルースハーモニカの奏者としてもかなりの評価を受けた人でした。しかし、何よりもポールバターフィールドが偉大であったのは、ロック=白人音楽 ブルース=黒人音楽 という米国音楽社会の通念に風穴をあけ、ロックとブルースの溝を埋め、多くの若い世代を引き込んでいったことでした。
ポールバターフィールドは、イギリスに渡り、一度だけジョンメイオールとセッションをしています。

アルバム名は 「ブルースブレイカーズ ウイズ ポールバターフィールド」(英国リリース)、イギリスを代表するブルースマンとアメリカを代表する白人ブルースマンのセッションは、当時の最高のLIVE演奏だったことは疑いありません。                                          ( 2000/1/18   2013/11 一部改訂 )