若手アーティストの発掘 /敏腕プロデユ−サー
  アル・ク−パー、今では名前もあまり耳にしないアーティストです。
アル・クーパーのアルバム「スーパー・セッション」は、私のベストアルバムの1枚、ブルースアルバムの傑作のひとつと確信しています。

人間には、自分の考えに確固たる自信を持って生きている人もいれば、自分の生き方にいつも迷いを感じてしまう人もいるように思います。 これは、かなり、勝手な憶測ですが、アル・クーパーは前者のタイプであり、彼のよきパートナーであるブルースギタリストのマイクブルームフィールドは、後者のタイプであったように思えます。

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60'Sや70'Sの頃のアル・クーパーは、アメリカロック界の若き奇才と呼ばれ、ミュージシャンとしてよりも作曲家、名プロデューサーとして名高かい人でした。 
シュギー・オーティス(上のアルバム)などの若手アーティストを多く発掘するなどの70年代の彼の業績は大きいと言えるであろう。
また、ボブ・ディランの代表曲(名曲)「ライク・ア・ローリング・ストーン(転がる石のように)」の曲の中で、印象的なオルガンを演奏しているのがアル・クーパーでした。

ボブディランのバックバンドとして

この「ライク・ア・ローリング・ストーン(転がる石のように)」の曲の演奏の時、アルクーパーは、はじめてオルガンを弾いたという。まさに天才、奇才。この曲の録音が行われたのは1965年でした。
アル・クーパーは、まだ20代になったばかり、当然のことだが、ディランに頼み込んでセッションに参加させてもらったという話が残っています。
そこで出会ったのが、その後のアル・クーパーに大きな影響を与えるブルースギタリストのマイク・ブルームフィールドでした。
マイクのギタープレーを見たアルクーパーは、ギターを弾くことをこの時に断念したといいます。
その時から、アル・クーパーはキーボード奏者として、マイク・ブルームフィールドはギターマンとして65年夏の「ニュー・ポート・フォーク・フェスティバル」等のコンサートでディランのバックバンドとして活動していったのです。

ブーイング
話はそれてしまいますが、ボブ・ディランと言えば、アコスティックからエレクトリック・ギターにもちかえ、コンサート会場のファンの強烈なブーイングにあった話は有名ですが、当時、日本にもその報道が流れてきました。あの事件によって、ディラン自身が、かなりのダメージを受けたのも事実だったと思います。アル・クーパーとマイク・ブルームフィールドの2人は、その当時のバックバンドであったわけです。

当時、ディランがなぜ、フォークギターをエレクトリックにもちかえたのか・・・・・私には、詳しい事情は分かりません。
また、当時、ハードなロックばかりを聞いていた私には、当時のアメリカのフォーク・ロックファン(当時のジャンル分け)が、なぜにアコスティックギターにこだわるのか、執着するのか、ディランという才能あるアーティストの新しい音楽性を否定するのかが、よく理解できなかったというのが実感でした。
当時のフォーク・ロックファンにとって、あの頃のアコスティックに何か特別の意味を感じていたのだろうということを今、推測するだけです。

プロデューサーとして/B.S&T の登場

ディランのバック・バンドの後にアルクーパー自らがプロデュースしたが、あのシカゴと並ぶホーンセクションを導入したブラッド・スウェット&ティアーズでした。
BS&Tはファーストアルバム「子供は人類の父である」などのヒットで順調なすべり出しを見せたが、妥協を許さないアルはメンバーとの確執・意見の対立からBS&Tを離れました。
しかし、BS&Tは、その後、2作目「ブラッド・スウェット&ティアーズ」のアルバムからのスピニング・ホウィールなどの大ヒット曲で、アル・クーパーが抜けた後も、順調にアメリカを代表するブラスロックバンドと成長していった。

 ブルースアルバムの傑作
 強烈な個性を持つアル・クーパーは、バンドとして活動することに嫌気がさしただろうか、つぎに世に出したアルバムはセッション・アルバムでした。それが、あの名作「スーパー・セッション」。

最初は、マイク・ブルームフィールドとのセッションアルバムのはずであったようだが、マイク・ブルームフィールドが途中でダウンし、その代役を務めたのが、スティーヴン・スティルス。当時は、分からなかったのですが、「スーパー・セッション」が、A面マイク・ブルームフィールド、B面スティーヴン・スティルスとのセッションいう変則的な構成のアルバムとして発売された理由は、実は、そこにあったというのが真相のようです。

 カルロス・サンタナの登場
アルバム「スーパー・セッション」は、大ヒットとなり、フィルモアでのライブへと発展していく。そして、生まれたのが2枚組ライブアルバム「フィルモアの奇蹟」。
この時も、またまた、マイク・ブルームフィールドは体調を崩してダウン。(マイクは、クラプトンも絶賛するブルースギタリストだが、プレッシャーに弱かったのだろうか)
しかし、マイク ダウンのおかげで、一人のアーティストが世に出てきた。当時、無名ながらフィルモアで演奏していた(修行中だった)「カルロス・サンタナ」でした。マイク・ブルームフィールドの代役としてカルロス・サンタナとエルビン・ビショップの2人が起用された。
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  当時のカルロス・サンタナは、フィルモアのステージで演奏する有名ギタリストの演奏をステージの横から見ては、そのフレーズを次々にコピーし腕を磨いていったという。

2枚組「フィルモアの奇蹟」の演奏をよほどよく聞かないとサンタナの演奏に気づくことはないが、フレーズに耳を傾けると この頃にすでに、あのサンタナサウンドは完成しているように感じられます。そして、そのサンタナバンドが一躍、世に踊り出たのが、あのウッドストックの名演によってでした。
 サンタナがロックの表舞台に登場できたのも、マイク・ブルームフィールドの精神的なひ弱さ・いつものダウン癖によるところが大きかったと言えるのではないでしょうか。

ソロアルバム「I STAND ALONE」

その後、1969年、ついにアルのソロ・アルバムが発売された。アルバムタイトル「アイ・スタンド・アローン」。そのアルバムジャケットは、自由の女神の顔の部分がアル・クーパーでした。
もちろん、当時、このアルバムも購入しましたが「スーパー・セッション」や「フィルモアの奇蹟」ほどの感動もなく、しまい込んだまま今も持っています。
数々のバンドや多くのセッションを経験した後に、アルが辿り着いたのはソロ活動。
そのアルバムのタイトルが「アイ・スタンド・アローン」。まさに孤高の人、アルクーパーにふさわしいタイトルと感じたのを今だに記憶しています。          (1999/12/26 更新)

 
 
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